ショパンもショパンコンクールも知らない私が
1年かけて調べていって来年のショパンコンクールを
楽しく観ようという企画記事です。
記事のタイトルは全て同じ「知りたい!ショパンコンクール」
カテゴリーは「Enjoyショパンコンクール」になっています。
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に入っていますので、過去記事はそちらから探すと探しやすいです。
1年かけても終わらなかったら、私の気がすむまで続ける予定です。
伝記×ショパンコンクールの課題曲だと
Op.9のパリに行ってからになってしまうので、
それまでの伝記をと思ったのですが
ショパンの人生の半分ぐらいあって
そっちも書くのが大変なことに気付いたので、
同時進行で進めていこうと思います。
という訳で今回はOp.9について書いていきます。
1830年(20歳)でポーランドを出たショパンは
オーストリアのウィーンに行くが、
演奏の機会に恵まれず
1831年、フランス、パリへとやって来た。
パリでは、ここわワルシャワ?と錯覚するほど
かつて交流していたボーランドの文化人が揃っていた。
音楽会や夜会では、パリで最も注目される同世代の音楽家たち
リスト、メンデルスゾーン、ヒラー、ベルリオーズ、フランコムたち
と出会い友情を育んだ。
3つのノクターンが入っているOp.9はパリに到着する前後に書かれ、
サロンで大人気の音楽家となる1832年に出版された。
Op.9 No.2はショパンのノクターンの中で最も有名な曲。
第18回のコンクールでは Op.9 No.3 が
事前審査と一次審査の課題曲になっている。
フェルディナント・ヒラー
ドイツのロマン派音楽の作曲家
メンデルスゾーンの親友
オーギュスト・フランコム
フランスのチェリスト・作曲家・音楽教師
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