sound noteのメインはhttps://sound99ing.blogspot.com/へ引っ越しました。 こちらはサブになっております。メインブログには書けなかった記事と音さがしをこちらで書いています。
ボロディンは中央アジアの草原にてですね。楽譜はあります。
もう居なくなってしまいましたが私のネット友達の発言。(笑)
だれも「間違ってるよ」って言ってくれない。
こういう思考が【先生におんぶにだっこ状態】だ、と私は思う。
だって…「間違い」って誰かに言われなければ直せないのか? もっと言えば、誰かに「間違い」と言われたことをただ言われたように直せば、それで満足なのか?
さらに言えば、その言われた「間違い」って本当に「間違い」なのか?
社会に出れば、そうやって指摘してくれる人はいないし、そもそも、それが間違いかどうかを絶対に判断できない場合だってある。
それをどう切り抜けるかを考えて実行するのは、他でもない【自分】です。
そういう【自律】できる(つまり、最終的に先生を必要としない)生徒を育てるのが先生の役目だ、と私は思うんですけどね。
(一方、独学は既に【自律】している、というか【自律】していないと独学はできない)
あずにゃんさん、こんにちは。
中央アジアの草原にては交響詩(交響的絵画)なのですね。
いい意味でぼーっと聴ける曲でした。
私の先生は本当に間違っている時にしか間違っていると言いません。
例えば音が違うとか指使いが違うとか。
違う弾き方を提示する時は「私(先生)ならこう弾くよ。」という言い方をします。
どなたのブログだったかは忘れてしまいましたが
クラシック音楽には、間違いはないけど正解は存在する。
と言っていた方がいました。
(たしか1か月ぐらい前に見た記事だったと思う。)
正解を教えるのが先生の仕事、で、正解を選択するかどうかは本人次第?
教わったことが身に付いていれば、今弾いている曲と同じレベルの曲は習わなくても弾けるのだそうです。
そういう感じのことがにとまいこさんのメルマガに書いてありました。
そうならない場合は、教え方が悪いのか、あるいは不相応の曲を弾いていることになる。
にとまいこさんのメルマガ面白いですよ。
私の中央アジアの草原にてはピアノとフルートに編曲されています。
最近はほとんど見ていませんが、にとまいこさんの部屋にはリラックマが居ましたね。(笑)
ベートーベンは単純な不注意による音ミス等には特に気にしなかったみたいです。しかしニュアンスの部分は大変厳しかったようです。
『知らない事は何としても教えないとならない』と信念を持っていたようです。(チェルニーに言った)
『演奏の慣習や不文律、暗黙の了解』の事だと思います。
あずにゃんさん、こんばんは。
ピアノとフルートも素敵そうですね。
最近は、キイロイトリが2匹とちびまいまいもいるんですよ。
明日も20時から生放送ありますよ。
ゲストにもりきょんさんが来てくれるんです。
ベートーベン先生は厳しくて、
なかなか先に進ませてくれなさそうな先生ですね。
私の先生に似ているかもしれません。
良い先生だと思います。
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